ハンダ ユウコ
半田 侑子
HANDA Yuko
所属 衣笠総合研究機構
職名 研究員
言語種別 日本語
研究概要 「手稿ノート」類に見る加藤周一

 立命館大学図書館は2011年、加藤周一(1919—2008)が遺したおよそ二万冊に上る蔵書と1万ページを超える「手稿ノート」及び膨大な資料類を、加藤の遺族より寄贈された。本研究はその中でも「手稿ノート」の公開作業を行いつつ、「手稿ノート」を整理することによって加藤周一研究の基礎を築こうとするものである。
 加藤周一研究にとって、膨大な資料群の整理は、加藤の著述活動を再検討していく上で必要不可欠である。 加藤周一文庫に寄贈された資料は、加藤の著述活動を支えた加藤の強靭な思考の軌跡である。資料を公開し、デジタルアーカイブ化、また詳細なキーワードの作成をすることによって、加藤研究に必要な資料の基礎を築き、発展させていくことが本研究の目的である。
 新たに公開される資料と、加藤の著作との比較を行い、加藤の著作の記述を再確認することが必要である。例えばすでに公開された「青春ノート」内においても、加藤の半自伝的小説『羊の歌』との異同が読み取れる。「青春ノート」と『羊の歌』の比較において、最大の食い違いは、太平洋戦争の勃発した1941年12月8日の記述である。『羊の歌』「ある晴れた日に」(加藤周一『羊の歌—わが回想—』岩波新書、1968)では、加藤はその夜、新橋演舞場へ、文楽の引越興行を観に出かけて行ったことになっている。(pp.169-172)しかし「青春ノート」内において、「一九四一年一二月八日」(https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/2671055100/2671055100200010?mid=mp000375)という題名で書かれた日記には、「豊増昇のベートーヴェンをきゝに行かうと思ったが、妹が心細いと云ふからやめた。警戒管制の家で、ショパンのワルツをきゝながら、この文を草する」とある。新橋演舞場も引越興行も、古靭太夫も一切この日の日記には出てこない。また「青春ノート」全体を通しても、加藤が新橋演舞場へ行ったという記述も、文楽を見たという記述もない。
 このように『羊の歌』に書かれた事柄が、「青春ノート」内の日記や、その他の評論の試みの中に散見される。さらに「青春ノート」内には、後年、加藤が発表した論考の下書きも含まれる。例えば『校友会雑誌』1938年2月号に掲載され、「加藤周一自選集」1に収録される「正月」の草稿や、また戦後、加藤の文筆業の出発点となった中村真一郎、福永武彦との共著『1946 文学的考察』に収録された「金槐集に就いて」の草稿である「FRAGMENTS 嘗て金槐集の余白に」がある。これらを、戦争が加藤の精神に与えた影響と、その現れ方の戦前・戦後の違い、また、日本文学及び日本文化に対する加藤の変化と、一貫した部分とを、「青春ノート」との比較において論じていくことによって、加藤の戦後思想史に果たした役割を再定義する。