ナツメ ムネユキ
夏目 宗幸
NATSUME Muneyuki
所属 文学部 地域研究学域
職名 助教
発表年月日 2021
発表テーマ 武蔵野の新田村落名にみる「前」の意味に関する考察
会議名 日本地理学会発表要旨集
主催者 公益社団法人 日本地理学会
学会区分 全国学会
発表形式 口頭(一般)
発表者・共同発表者 北西 諒介,夏目 宗幸
概要 1.はじめに
近世前期における武蔵野台地上の千町野(現・東京都杉並区,三鷹市,武蔵野市に跨る地域)の開発は,関村(現・東京都練馬区)の井口八郎右衛門の主導によって行われ,寛文12(1672)年検地によって,新たに4つの新田村落が成立した.『井口家文書』には大宮前,牟礼前,れんちゃく新田前,関前の名称を確認できる.
これらの新田村落の名称は,いずれも近隣の既存の村落名,ないしは地名の語尾に「前」を付ける形で命名されており,開発の一体性を物語っている.関前は豊島郡関村,牟礼前は多摩郡牟礼村,れんちゃく前は多摩郡連雀新田,大宮前は多摩郡和田村にある大宮八幡社とそれぞれ対応するものと考えられる.このように「前」の付く新田村落名は,時代は下るが同じ武蔵野台地上に成立した砂川前新田のほか,尾張国の干拓新田である熱田前新田などにも見られる.
2.問題の所在
前・後のような語句を含む地名は,村落内の小地名として多く見られ,共同体の空間認識の指標として研究されてきた.例えば,丹波・吉備高原地方の村落空間の分類原理とその表現型を考察した山野(1977)は,前-後が斜面における日向-日陰,上-下などとともに,南北に分割された村内区分の識別に用いられていることを指摘している.
一般的な新田村落の場合,親村との血縁的・地縁的関係を持つため,その村落名称も親村の名を冠することは多い.しかし,千町野の新田村落の場合,関村を親村としており,牟礼村,連雀新田,和田村大宮八幡社との関係は希薄である.つまり,名称の上でのみ,親子関係が確認されるということになる.
こうした名称上の親子関係は,単純に隣接関係を「前」と表現したことによるものとも捉えられる.しかし,尾張の干拓新田の中には,少ないながらも甚兵衛後新田や茶屋後新田のような「後」が付く新田名称が確認できることから,千町野の「前」もまた,何らかの前-後の感覚に基づいて名付けられているという仮説が成り立つ.では,それはどのような感覚であろうか.
3.分析
千町野の新田村落における名称上の親子関係を,親から子へ向かう矢印として考えた場合,それらは概ね西の方角を指し示すものの,定まった方向であるとは言い難い.また,千葉徳爾は杉並区の通称地名の分布から,この地域の社会集団が南を前・表,北を後・裏と意識していたと結論づけている(千葉 1992)が,これとも合致しないことがわかる.よって,千町野を含む武蔵野台地の開発は,これとは別の前-後の感覚によって行われていたと考えられる.
ここで,千町野より視野を広げ,武蔵野台地というスケールで考えてみると,千町野の西方に広がる地域は後世に新たな武蔵野新田として開発されるが,千町野の開発当時は未開発の「武蔵野」であったことがわかる.千町野の新田村落名における「前」には,今後開発される地域に対する開発前線としての意識がそこにあったのではないだろうか.
千町野の西に位置する境村の名称の「境」は,開発された千町野と,未開発の武蔵野との境目とする見方もあり,本仮説とも一致する(米崎2019).そのほか,後世の武蔵野新田開発において,武蔵野台地の西側に位置する砂川新田(砂川村)から分村する砂川前新田は,本村に対して東に位置しており,こちらも未開発である「武蔵野」の方向を示唆していると言えよう.
4.おわりに
本発表では千町野開発によって開発された4つの新田村落の名称に着目し,それらに共通して含まれていた「前」という語が,当時の武蔵野台地における開発の前進方向を示していたという可能性を指摘した.このことは,村落内で完結する前-後の体系と,武蔵野という広範囲に及ぶ体系という,視点の異なる命名原理の存在を示している.
文献
千葉徳爾 1992.杉並の通称地名.杉並区教育委員会編 『文化財シリーズ37 杉並の通称地名』3-28.
山野正彦 1977.分類体系として見た村落の空間構成.人文研究29, 415-437.
米崎清実 2019.境村村名考 〜武蔵野をめぐって〜.武蔵野ふるさと歴史館だより 第4号,4-6.